スターリーディング

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性格を表す十二運2

帝旺の人
冠帯で大人社会へ入り、建禄であるべき立場を確立した後、更にトップを目指すのが帝旺です。皇帝を意味する言葉通り、独自の帝王学を身に付け最高位に付いた状態ですから、下界を見渡すだけの余裕と視野の広さ、博愛精神に基づいた平和と公平さを自然と身に付け、少々の事では動じない大らかさを持ったのが帝旺の人です。パワーも限りなく強く、建禄の様ながむしゃらさは影を潜め、程よく力を抜いた独特の存在感が光ります。

帝旺の人は、建禄と同様に男女を問わず社会性を示す星ですが、志が大きく小さな事に拘らない余裕があります。描く夢も壮大で、自分の思考や企画力、行動力、人に対する処世術など、全てにおいて限界を設けません。自分の信じる方向性に疑問をもったり、その為に軌道修正したりという事が少なく、また人に関する直感力も希薄です。しかし、それが必要ない程に全ての事柄を高い位置から観察し、決定するだけの力を持ち合わせたエンペラーなのです。

自信に満ちあふれ物事を面で捉えます。その広い面を動かす為の点を見いだす眼力はすばらしく、それが全てに活かされ、ふさわしい結果を得られた時が最高の喜び。何しろ、とてつもなく大きな思考力の持ち主ですから限界というものがありません。最後の最後までゴールに到達する道に更に良い方法が見つかると、すぐに路線変更できてしまうのが強みでもありますが、終わりを全うしない事にも。トップに立ったら後は下り道しかないのですから、思わぬ突風で足下を救われる危うさもあります。アップダウンの大きさには注意が必要です。

いつも温和で、平和主義社の帝旺の人が珍しく怒っていたら、または捨て台詞でその場を後にしたら、それは関係性の終焉を意味しています。もう二度と自分から歩み寄る事はありません。それだけに情が切れる事の悲しさ誰よりも辛く感じているのも、この人です。そんな帝旺の人いたら、”あなたは間違っていないのだからそれで良い” と、正面から受け止めてあげましょう。火に油を注ぐ様な批判や反対意見は危険。自ら立ち直り、元に戻るまでにそう時間がかからないのも強み。何しろ、孤高のエンペラーは自分が頼り。放っておいても博愛精神を取り戻すでしょう。
の人
この世に生を受けてから、社会的にも身体的にも頂点に辿り着くまで、目覚ましい成長を遂げて来た訳ですが、もうこれ以上登るべき山はなく、そろそろ下山の準備に入る時期を迎えたのが衰の状態です。衰退の意味でもあり、これから徐々に肉体的にも社会的にも力加減をしていくことになります。しかしながら、その状態はまだまだ余力があり、これまでの豊富な経験を活かしていく柔軟性と、穏やかさが自然と身に付いた大人の風格があります。

衰の人は、帝旺の様な鷹揚さや楽天的気質が陰を潜め、それまでの豊富な経験値から学んだ事を実社会に反映させていく能力があります。その為、どんなに良い条件や話でもすぐに飛びついたり行動に移すという事はなく、自分の価値観、人を見る目、周囲の意見などを考慮した上で、最小限のリスクを取りながら無駄無く進んで行く事ができます。人に対しても、決して自分を優先する事はなく、相手を尊重した上で自分の意見を述べるという温和で知的な雰囲気を持った人が多いのも特徴です。

未来よりも過去を大切にする傾向が強いため、古典的なもの、伝統芸術、アンティークなものに対する造詣が深く、確かな目をもっているのが強みです。これはものだけでなく、人に対しても同様で、自分独自の人間哲学を有していますから、穏やかな眼差しの奥で、相手の持つ能力や個性を見抜く目は正しく、自分の感性にあっているかどうかを見極めた上で交際します。単独で行動するよりも豊かな経験値から人との融合によって生まれる良さを知っているため、相手との関係性によって良くも悪くも影響を受ける傾向もあります。未知のものに対する積極性が希薄な面は残念なところ。

穏やかな衰の人は争いを好みませんが、この人が珍しく攻撃してきたら、それは忍耐の限界点に達したとき。この場合の勝者は衰の人です。気がつくと周囲は全てこの人の味方で埋め尽くされ、手厚い防御と賢者達の攻防であっけなく勝敗が着いてしまいます。もし、あなたが衰の人に戦いを挑んだなら、最後の最後まで気を抜いてはなりません。何しろ、この人のめがねに叶った人達は強者達。バックには強い味方がついているのですから、油断は禁物。闘うよりも融和の精神が賢い選択と言えるでしょう。
の人
過去の経験を社会に役立てて来た人生期から、エネルギーが徐々に弱まり、体力、気力の衰えが顕著に表れてくる状態が病の人です。病という漢字の通り、体力的には陰りが見え始め、いろいろなところを修復しながら乗り切っていく必要性を感じる時期に入ります。しかし、体力と反比例するかのに、逆に神経は研ぎすまされて、物事の良い面、悪い面を瞬時に感じ取る計算力が出てきます。過去の豊かな経験値から、自分の感性に磨きがかかり理想とする人生を見いだす様になります。詩的な雰囲気を持ちあわせた人が多く、美しくある事にこだわりを持ちます。

病の人は、相手の人格や物事の善し悪しの判断基準になる独特のアンテナを持っています。長期間にわたって物事に対処するだけのエネルギーはないかわりに、如何に無駄無く効率的に物事を進めたら良いのか、人と自分との関係性や物事の距離を計るところから入ります。物事が動き出すと決して投げ出したり、いい加減な事はしません。経営者としての素質を持っている人も多く、金銭を大切に扱います。また、最後の形に拘りがあり、終りの美学を有していますから、人にも物事にも奇麗な始末を求めます。

しかし一方で、完璧な程の美意識と高い理想は、時として相手に理解されない事があります。弱々しい印象と非情に強気な一面とが混ぜ合わさって、時に辛辣な言葉の刃を剥いてしまう事があります。自分と相手との間に割り切れないものが存在する事を嫌うため、汚れを知らない無垢な面が相手に理解されない事に、憤りを感じやすいのです。

病の人が精神的な落ち着きを無くし、取り乱していたら、それは不潔な環境に身をおいている時か、あるいはきちんと整理されない事象が起きた時。お金、部屋、人間関係、環境、仕事の内容そのものが、不潔な感じを受けたり、自分の感性が受け付けないものは苦手なのです。本来は天真爛漫な明るさを持った人ですから、そんな時は、心を許せる人と一緒に、賑やかで楽しい場所に連れ出して、相手の話をじっくりと聞いてあげましょう。心の波が穏やかになった時、思いがけないプレゼントを渡してくれるでしょう。
の人
自分の人生観が確立され、理想と現実、経験と感性で歩んで来た人生期から、いよいよ有終の美を飾ろうとする段階が死の人です。 死というのは生の終わりを意味した言葉ですが、死ぬという意味ではありません。 しかし、性質的に、じっくりと時間をかける程の余裕はなくなり、できる限り与えられた時間の中で、きちんと締めくくりをしようという意識が出てきます。そのため、病の時代で培われた敏感な感性は陰を潜め、感覚よりも現実社会での実績を重用視するようになります。

死の人は、何事も理論的に物事を捉えます。感情や理想論よりも、どうしたら早くそこに行き着く事ができるのか、あるいはその壁を乗り越えられるのか、自分のミッションを常に意識している人が多く、必ず結果を出します。自分の理想や他者の思惑という事には割と無頓着な面もあり、問題と答えを一直線で結び、最短距離でゴールに達成する事に価値観を持っています。それだけ、何があろうとも自分の担うべき事を実直に進める行動派です。たとえ、心が納得しない事でも、それが与えられた任務であれば感傷に浸っているよりも、結果を求めて動く方が良いのです。

しかし、一方で病の時代で培った感性が忘れ去れた状態というのは、人の感情の機微や態度の中に隠された本音、本質に目が行かなくなってしまう危険性も秘めています。時に独り相撲となってしまって、相手に理解されなかったり、チームワークに乱れが出たりという事も。後がないという意識が常について回るため、じっくりと時間をかける事に焦りを感じやすくなります。それが、せっかちな言動になって現れる事があります。

任務を全うして肩の荷を降ろしたはずの人が、浮かない顔をしていたら、それは死の人にとっては納得の行かないミッションだったという事です。嫌でも自分のミッションならば結果を出す事が大切と考えてしまうのですから、結果が出せたとしても、むなしさが後になって出やすいのです。 そんな時は、おいしいお酒を一緒に飲んであげましょう。お酒が飲めない人ならば、おいしい食事でも大丈夫。この人が何に不満を思っていたのか、納得していなかったのかをじっくりと聞いてあげてください。聞いてくれる人が側にいる事が、何よりの救いなのです。
の人
墓(ぼ)の状態とは、お墓に入る事を意味した言葉ですが、次への始まりも意味しています。墓(はか)には、昔からその人が生前に生み出したものや、宝物と一緒に埋葬する事も多く、そのため墓の中には豊かな財宝が収められているという特徴があります。墓の人は、生の時代のすべてを蓄積して、土に帰るという性質から、明るさと豊かさを持っている人が多いのです。蓄えるという意味においても、見かけがどうであれ、蓄財力があります。 胎〜墓までの11段階を経てきているわけですから、一つの事柄を決断したり、行動を起す際に時間をかけて辿り着く手法が特徴です。

墓の人は、マニアックな一面を持っています。長い時間をかけて培って来た自分なりの価値観を大切にしますから、その中で自分の関心のあるもの、興味をひくもの、好きな事についての貪欲さは人一倍です。しかも、時間をかけてそれを追求しますから、出来上がった作品は、誰にも真似の出来ないような緻密さがあります。実社会でも同様に、人間関係でも仕事でも、納得するまで動けないところがあり、また最終的な結論がでるまで、自分の主観を通すという事は少なく、相手の話をじっくりと聞きながら、どう動くべきかを自分なりに分析して行動します。

良い意味で、静かな貪欲さを持った人が多いのですが、時間がかかるという事は瞬時の判断力と行動力が伴わない危険性も含んでいます。取り越し苦労が多くなったり、遠回りして戻ってきた時には事は終わっていたとう事も。それでも、自分なりの進め方を重要視しますから、本人はそれで満足だったりするのですが、人との共同作業では、それがマイナスと出る事にも繋がりかねません。自分のテリトリー、金銭、人、仕事などにおいて、溜め込む、漏らさない、任せない、などという事が起こりやすい傾向にあります。それでもどこかに明るさと豊かさがあるのも、墓の人の特徴です。

ふだん聞き上手の墓の人が、目線が宙を浮いていたりする時は、頭の中は違う事に気を取られている時。聞いているのかな? と思う瞬間があれば、相手の話の聞き役に回ってみましょう。一度話しはじめると、どんどんいろんなシーンが飛び出して、その人の豊かな感性を知る事ができます。しかし、この時、相手の明るさや言葉の調子にのって、ズケズケとものを言うのは御法度。一人になった時に、この人はその言葉を租借しはじめて、眠れなくなってしまうかもしれません。タイムラグがあるのが墓の人の特徴でもあるのです。
の人
墓に入り、土に帰った後、すべてが無になった状態が絶の人です。無という事は、それまでのすべての事から解放されるという事も意味しています。したがって、何をするにも自由で束縛やしがらみがありません。すべてが自然に備わり、何を選択しどう次への芽を出すのか、出方次第でどんなものにも変化できる身軽さがあります。絶の人は、人生の最終段階に位置しているわけですから、感性も経験も価値観もすべてどこかに記憶として残っています。どこへでもどんな場面でも、軽やかにそこに行き着く明るさ、楽しさ、賑やかさが特徴です。

絶の人は、胎の始まりの前を表していますから、内面にはどこかに次に生まれゆく為の不安を抱えているのですが、それを認めたりする事は苦手です。自分のマイナス面や弱点を見破られる事を恐れますから、そうなる前に、瞬発力と明るさ、おちゃめさで、その場の雰囲気を楽しく愉快なものへと変化させるのが上手です。感性も鋭く、インスピレーションや霊感の強い人も多いのですが、天性の明るさが特徴です。芸能の世界に縁を持つ人も多く、言葉や表情の一つで、七変化できてしまうカンの良さは抜群。人気もあります。話上手な人も多く、テンポの良さ、頭の回転の良さが光ります。

しかしながら、墓の様な蓄えられた力はありません。どんなに明るく楽しく天性のカンがあったとしても、それを持続していくだけのエネルギーがないのです。したがって、長期的なもの、継続的なものは苦手で、飽きやすい一面が出やすくなります。同じ環境で同じ人と同じ状態を続けるというのは、絶の人にとってはとても辛い作業。虚無な抜け殻となって明るさを奪ってしまう事になります。本当は人一倍寂しがりやでありながら、自由を求めるという相反する両面をもっていますから、そのバランスが取れなくなると、思いがけない行動に出る事があります。言葉の刃、力の刃、自分への刃となりかねない危うさを秘めています。

賑やかで華やかな雰囲気の絶の人が、いつもと違う表情や暗い雰囲気になっていたら、それは情緒不安定な状況にあるか、あるいは何かに恐怖心をいだいている時。そんな時は、一人にしない事です。やさしく穏やかに、話しかけましょう。相手が話し始めたら、やさしく頷いて、時には冷静な意見を述べてあげてください。相手にとって絶対的な味方であるという事を知ってもらう事が、救う事になります。少しの時間でもそんな瞬間があれば、また子供の様な無邪気さが戻り、次へ向かう積極性を取り戻せるでしょう。